〜追悼〜麻生武志先生

(以下順不同)

 麻生先生の訃報に接し、心からお悔やみを申し上げます。 先生は日本における更年期医療の礎を築かれ、現在の女性医学の発展にも大きく貢献されました。
  英語がぺらぺらで、一見、クールで怖そうでしたが、実は気さくで、ご一緒した国際学会などでは楽しくお話させていただいたことを思い出します。現役を退かれたあともIMSやAPMFなどとの関係に心を砕かれており、個人的に多くのことを学ばせていただきました。この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
  昨年の女性医学学会で 質問していらしたお姿が今でも目に浮かび、突然の訃報を自分の中で消化しきれませんが、今はただ先生のご冥福をお祈りするばかりです。

東京歯科大学市川総合病院 産婦人科  髙松 潔

  麻生武志先生
  H A Pや日本女性医学学会などでの職種、年齢、学閥など関係なく、1つの目標に向かってお互いに意見を言える環境は、麻生先生の影響が大きかったと思います。
  いつまでも更年期医学、女性医学について大所高所から適切なご意見をいただきました。 3年前の日本女性医学学会学術集会で「女性医学における骨粗鬆症の予防と治療に対する多職種連携」というシンポジウムの企画と座長を行いました。骨粗鬆症に限らずこれからの女性医学での多職種連携のあり方を考えたく企画したものです。しかし、隣の会場での学会指定プログラムや専門医機構認定講習の教育講演に多くの参加者をとられ、シンポジウムでの参加者はわずかでした。会場におられた麻生先生が最後に「このような素晴らしい内容のシンポジウムに参加者が少ないのはおかしい。学会関係者でよく考えるべきだ。」とおっしゃっていただきました。
  麻生先生、ありがとうございました。

新潟市民病院  患者総合支援センター  倉林 工

 麻生武志先生、ご冥福をお祈りします。

柴田綾子

 麻生先生のご逝去のお知らせにふれ、ただ驚くばかりです。ご霊前に、心から哀悼の辞を捧げます。ご講演や学会でお目にかかるときは常にダンディーでおしゃれだった先生のお姿が思い出され、残念でなりません。麻生先生、ありがとうございました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

松村千香

麻生先生を偲んで

 「麻生先生が先ほどご逝去されました」との現HAP理事長の宮原さんからのメールに、思わずすぐに電話し、「どういうこと?11月にお会いしたばかりじゃない??」と話して宮原さんから訃報の詳細を伺いました。闘病中とはしらず、驚き、まだ信じられない気持ちです。更年期医療・女性ヘルスケアに心血を注いでこられてきた麻生先生の最期の学会出席がコロナ禍で久しぶりに対面開催(ハイブリッド)となった日本女性医学学会学術集会だったと知りました。
  壇上におられない麻生先生と初めてお会いしたのは、12,3年前、浅草の小料理屋でした。宮原さんに「勉強になるお話が伺えるよ」と誘われて、麻生先生を囲む食事会に参加しました。当時臨床を離れて、国際保健の仕事をしていた私に「これから先、アジア・アフリカどの途上国でも更年期医療は大切になってくる」とおっしゃり、HAPに再入会し、日本女性医学学会に入会し、更年期医療を改めて学ぶようになりました。今臨床に戻って、女性ヘルスケア専門医を名乗って日々の診療を行えているのも麻生先生のアドバイスのおかげです。
  麻生先生、ご指導ありがとうございました。先生を偲んで献杯します。

大森産婦人科医院  松本安代

 麻生先生の訃報に際し、大変驚き惜別の念を禁じえません。
 麻生先生には、公私ともに大変お世話になり、いつも思慮深いご示唆をいただきました。 私が仕事でうまくいかない時には、温かい心で包んでいただき、私の悩みなんかは大したことがなく、大局的に考えれば自分本位の考えであったことに気づかせていただきました。 先生は常に周りの方や患者様のことを第一に考え行動される方で、私もそうなりたいと日頃からお慕い申しておりました。
  このような時がいつかは来るとはわかっていても、いざ直面すると悲しさが溢れてきます。
  麻生先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。

大塚製薬株式会社 ニュートラシューティカルズ事業部 学術部  石田晋也

 麻生武志先生を偲んで

 私にとって麻生武志先生は、日本更年期学会(現:女性医学学会)に私が入会した時にはすでに学会理事長をされていたので、全くもって雲の上の存在でした。あの鋭い眼光を見ただけで、ただ者ではないオーラを感じることができました。右も左も分かっていなかったあの頃、現在HAP理事を務められている宮原富士子先生との出会いがあったことを、鮮明に覚えています。
  あの頃はまだ「更年期」という言葉は市民権を得ていませんでした。産婦人科の中でも特殊な領域で、大学に開設されていた更年期専門外来も、正直、医局の中で人気がある分野とは言えませんでした。
  その後、徐々にメディアに「更年期」というワードが取り上げられるようになり、一般の方にも認知が広がり、同時にホルモン補充療法や漢方、サプリメント療法なども広く知られるようになりました。これには麻生先生の功績が多大に影響していたという事実を、私達は忘れてはなりません。
  今では医療としての産婦人科領域の中で、女性医学は無くてはならないものとして捉えられています。そんな女性医学に研修医の時代からかかわり続けることができ、今も開業医として、女性ヘルスケア専門医として、女性の健康を支えて行くことができることを感謝しています。
  麻生先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

庄司産婦人科  谷内麻子

 麻生武志先生を偲んで

 麻生武志先生は、去る令和4年1月8日にご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。  麻生先生には、平成2年に東京医科歯科大学医学部産科婦人科学教室(当時)教授秘書として採用して頂き、以来12年程の年月に渡り教授秘書として一番近くでお手伝いさせて頂きました。当時、教授ご就任間もない時期で、医局運営、外来診療、学生教育、研究活動など大変エネルギッシュに毎日を過ごされ、それに伴う仕事量も膨大なものでした。非常に厳格で緻密なご信念により要求される仕事のクオリティーは高いものでしたが、何とか仕上げて準備を終えると、評価して下さったことが大変励みになりました。
  当時学会発表で使用するスライド作りを前日夜までギリギリで作成したのも良い思い出です。そんな麻生先生ですが、教授室ではふとご家族のお話をされることもあり、ご家庭では愛情溢れる良き父親であると微笑ましく思う一面もありました。
  ご自宅にお招き頂いた際には、奥様の佳津子先生のプロ級の手料理をご馳走になり、麻生先生のバイオリンと佳津子先生の美しいピアノ演奏でうっとりとし、楽しいひとときを過ごしました。
  最後にお会いした際、研究書籍に囲まれたご自宅の書斎で、更年期女性の医療・支援をライフワークとして研究活動を継続されると熱く語って下さった麻生先生のお顔が忘れられません。
  突然の訃報に接し、悲しく残念な気持ちでいっぱいです。
  きっと今は天国で佳津子先生と合奏を楽しまれていることでしょう。
  麻生武志先生、大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

藤原(旧姓関)美恵子

  麻生武志先生のご逝去の報に接し、心より哀悼の意を捧げます。
  私が秘書をさせて頂いていた時、病棟で綿のなくなった万能壺をご覧になり、次に起こることを考え行動するよう叱っていらっしゃるお姿を、今でも思い出します。常に先を見て、周囲を見る。小さなことにもそれを実践される姿勢を、言葉として伺い知った場面です。 何事にも厳格に、より精度の高さを求められる姿勢は、緊張感のある毎日でしたが、あの時覚えたすべてが、今の私の礎なのだと思っております。
 ある時、私はプレッシャーから、一度だけ先生に口答えをした事がありました。あらぬ事に後から猛反省し謝罪を申し上げると、麻生先生ご自身からも悪かったとお言葉を頂戴し、驚くと同時に心から癒されたことも大切な記憶ですが、何より、その誠実な姿勢は私の人生の戒めです。
  先生はいつもお忙しく、面会や取材、執筆や資料作り。何一つ手抜きがなく、授業のスライド一枚まで丁寧に仕上げられていました。更年期に関する取材には、当時の私は関係ないことのようにお話をただ聞かせて頂いておりましたが、のちに現実を迎えるにあたり、本当に助けて頂きました。ご退官後もたまにお手伝いさせて頂く機会があり、更年期で必死な私に、苦笑されながら一言二言おっしゃられ、冷や汗をかきながら、先生との年月を嬉しく感じてもおりました。
  麻生武志先生の人生の小さな部分ではありましたが、多くのことを教えて頂き、また一緒の時間を過ごさせて頂きましたことに深く感謝申し上げます。

深井よう子(元秘書)

 麻生武志先生を偲んで

 「『人生の伴奏もしてくれない?』だったかな・・・」
  先生が東京医科歯科大学の教授を退かれる際、ひょんなことから「麻生武志物語」を製作する大役を仰せつかり、教授室で先生とお会いする時間を頂戴しました。写真を見ながら、「これはあの時の」と記憶を遡りながら、2時間程でしたか、先生の生い立ちから、学生時代、スウェーデン留学時の思い出、そして大学人としてのご活躍など、いろいろお話を聞かせていただきました。この機会を独り占めしたことを、多くの麻生ファンが知ると嫉妬されそうな程楽しい時間でした。たくさんのアルバムと、メモをご用意下さり、物語のシナリオ作りは労することなく仕上げることができました。
  冒頭の言葉は、佳津子先生へのプロポーズの言葉を教えていただこうとインタビュー中何度か試み、その都度、「忘れちゃったよ」とはぐらかされたのですが、いよいよ帰る間際に書棚の本を取りながら、ボソっとつぶやかれた一言でした。その照れた横顔が、先生のチャーミングなお人柄を引き出せた気がして、取材した者として嬉しかった瞬間でした。 私、きっと「身長が違わないのに、レディースティーがこんなに前なのはインチキだよ!」と本気で、でも笑顔でおっしゃっていた声を、ラウンドの度に思い出すことでしょう。
  これからは佳津子先生とご一緒に・・・どうぞ安らかにお休みください。

杉村由香理

 麻生先生を偲んで

 麻生先生の訃報は、まさに青天の霹靂でした。あれ?昨年の女性医学学会にいらしていた(しかも私のランチョンに!)のに?と。
 でも、やはり現実なのですね。麻生先生をはじめてお見かけしたとき、こんなにダンディな先生が更年期の分野にはいらっしゃるのかと、とても嬉しく思いました。国際学会で海外の先生方とディスカッションをされるお姿も、本当にかっこよかったです。
 麻生先生が切り開かれた女性ヘルスケアの分野は、今では産婦人科の大きな一つの柱になりました。感謝の思いでいっぱいです。
 心よりご冥福をお祈りします。

東京歯科大学市川総合病院産婦人科  小川真里子

 更年期と名の付く会合があるたびに週末を利用して上京していた1990年ごろ、会場で案内された空席の隣に座っておられたのが麻生先生ご夫妻でした。まだ門外漢であった私はこの素敵なお二人がどんなに偉い先生かも知らずにいろいろ初歩的な質問し、丁寧にご指導いただいたことを思い出します。
 悩める更年期女性の力になりたいという私の思いをご理解くださったのか、それ以来、更年期学会や、HRT研究会、HAP等々の更年期関連の学会、研究会でお会いするたびに内科の私にも、“がんばってますか”と声をかけて頂き、いつも元気と勇気をいただいておりました。
 熊本に講演においでになった際、熊本城をご案内したのは熊本地震の2か月前のことでした。お城の前で撮った先生方との記念写真は今となっては私の宝物です。つい先日学会で質問されている元気なお姿をWEBで拝見したばかりでしたので、突然の訃報に呆然となりました。突然のお別れとなり残念で仕方ありません。麻生先生、長い間励まして頂き本当にありがとうございました。麻生先生の“頑張っていますか?”のお声を胸に、これからも、更年期医療、女性の健康のために頑張りたいと思います。ご冥福を心よりお祈りいたします。

医療法人社団 清心会 春日クリニック(熊本)   清田真由美

  仕事で関わった事はないのですが、30年以上前に一度だけ有明でテニスをご一緒させて頂いた事があります。
  当時、麻生先生は東京医科歯科大学産婦人科主任教授であり、他大学の平医局員だった自分にとって、麻生先生が相手のテニスは大変緊張しましたが、先生は私の様な者にも丁寧に応対してくださいました。
  麻生先生のテニスは、その様なお人柄に違わず大変品の良い(体育会的でない)テニスでした。
  慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

原レディスクリニック 院長  原 崇文

  麻生武志先生のご逝去を悼み心から哀悼の意を捧げます。
  松本市には確か2回、ご講演に来ていただきました。その夜の食事会の先生と奥様のお姿が鮮明に思い起こされます。これからもご指導をいただきたかったのですが、、、、。心からご冥福をお祈りいたします。

松本市 The Vivid 代表  上條順子 他会員一同(HAP会員)

  麻生武志先生を偲んで
  麻生先生の訃報の連絡を受けた時は、本当に信じられず、しばらく言葉も出ませんでした。
  企業の研究員である私に「更年期」について一から教えて頂きました。また、単に製品を世の中に出すだけでなく、どのように社会に貢献できるかを考えなければいけないということも先生から直接、あるいはその姿勢から指導していただきました。先生からは、しばしばメールで論文情報や最近では海外のWEBセミナーの案内などの情報を頂いていました。「君はこれをどう思うかね」という強烈なプレッシャーと闘いながら大変勉強させて頂きました。海外の学会にもご一緒させていただくことがありましたが、英語も流暢で多くの学会等で講演されている麻生先生が、毎回、原稿を作り、発表の直前まで内容を吟味されているお姿に身が引き締まる思いでした。日ごろは厳しい先生ですが、お孫さんの話になるととても柔らかい表情になられていたのが思い出されます。新型コロナ感染拡大で、なかなか会えないけどオンラインでお孫さんにバイオリンを教えていると楽しそうに話されていました。そんなコロナ禍において、昨年の11月の日本女性医学会では、親交のある方々と直接、お会いされていたというのは、一重に先生の人徳のなせる業だと思います。
  麻生先生には、言葉で言い尽くせないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。
  これからも、心の中の麻生先生と会話しながら、社会に貢献できるよう努めたいと思います。
  麻生先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

大塚製薬株式会社 佐賀栄養製品研究所  上野友美

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麻生先生にあと1回でも会いたかったという思いや声が届いています。
どなたでも書いていただけます。文章の書き方や字数等は自由です。写真等も掲載可能です。
実名でご所属等記載の上、メールに添付ください。
どうしても実名は‥という方は 何かニックネームでお願いします。
五月雨式に掲載してゆくため、締め切りはありません。
麻生先生への感謝の意味を込めて皆様のお返事を待ちしています。
後日、ご家族にも文体にしてお届けしたいと思っています。
宮原富士子